an essay on RADIOHEAD 1(11/11 2000)

4thアルバムKID Aが世に出てもう一ヶ月以上過ぎようとしている。 これは、確かに問題作であった。あまりにもこれまでと違った。その意味したことは何であったのだろうか。
「ロックは退屈だ。」
そう、トム・ヨークは語った。しかし、これは本当に音楽としてのロックがつまらないということではない。 商業化されている現在の状況におけるロックについて語ったものだ。彼らはファーストアルバムに関して語るときに、突然思い出したようになりだす冷蔵庫の音のようなものだと語る。 しかし、それはけして曲自体に対する否定ではなく、商業主義的に、レコード会社の力で押し通されたレコーディングであったことに対する否定としての言葉である。 納得のいかない音作り。そういったものに対する不満であった。
KID Aを出した後の気分次第では2001年の三月ぐらいにもう一枚アルバムを出すかもしれない。そう、彼らは言った。ではどんなアルバムになるのだろうか。 僕の考える限りでは、限りなくロックしたアルバムだ。何故?だってそれはKID Aで示したことに対する本当の答えだから。 気分次第で出すというのはつまり、KID Aが受け入れられたらということに他ならない。もしもこれが受け入れられたなら、それは、純粋に音楽を受け入れられたということなのだから。
「僕達はほとんど正気を失いかけていたんだ。」
崇められて、勝手にカリスマに祭り上げられた結果なんか見えている。波に流されて、自分が本来求めているものとは違うところへ押しやられるだけ。 そんなのはごめんだ。だからKID Aは作られたんだと思う。君達が望むものを作る為に存在するわけじゃないんだって。でも、だからと言って全てを否定するわけじゃない。 だから、motion picture sound track の最後のヴァースは収録されなかった。
Beautiful angel, pulled apart at birth
limbless and helpless, I can't even recognize you.
これはつまり、もう君達を救う事はできないという言葉でもある。しかし、その言葉は、失われた。希望は、捨てなかったということなのかもしれない。 もしもこのアルバムを理解できるならば、また、会える。
I will see you in the next life
或いは、次のアルバムということなのかもしれない。
スマパンは、ADOREにおける変化を否定され、もう自分達でいられなくなった。しかし、もしKID Aが受け入れられたならば、RADIOHEADは自分というものを取り戻せるのかもしれない。居場所を見つけられるのかもしれない。
「今はまた大好きなんだ」
幻の名曲とされる、LIFTのことだ。どうしても「今」とあわなかったというこの曲に、また手を入れ出したという。
This is the place.
Remembering all the things you always see.
つまり、居場所。過去を全て引き継いでいたった場所。そこが、感情を捨てざるをえなかったKID Aの情景と同じでありえようか?
だから僕なりに出した結論は、ロックなアルバムなのだ。もちろん、RADIOHEADならではの形式でのロックではあるけれど。

歌詞の詳細に関しては当HPの対訳を参照ください。